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2015年5月21日

NIKE AIR TRAINER 1:反抗心から生まれたレジェンド

少ないことは、より豊かにする

1980年代のアスリートたちは、コートでのスポーツ、ランニング、ウエイトリフティングなどを、どれか一つの運動のために作られたシューズを履き回すか、あるいはたくさんのシューズをロッカーに詰め込んでおくかという選択肢に迫られていました。それは怪我のリスク、実力を十分に発揮できない妥協、あるいは巨大なダッフルバックを抱えるという悩みにもつながっていました。

ナイキ エア トレーナー 1 は、本来はジムでのワークアウト向けにデザインされました

シューズに関するこのような状況は、若い建築家から転身したフットウェアデザイナーがそれに気づくまで変わることはありませんでした。シューズが溢れるジムに何度も訪れるうち、ティンカー・ハットフィールドはコートでもジムでも機能を発揮するフットウェアを作ろうと考えました。その結果生まれたのが、搭載されているナイキ エアをそのまま名前に用いたナイキ エア トレーナー 1 です。

ナイキ エア トレーナー 1は、高めの履き口と安定性やサポート性を高めるために外側に張り出したアウトリガーに加え、前足とシューズの一体性を高めるためのストラップが特徴的です。さらに、踵のフィット性にも配慮されたデザインになっています。
「当時のバスケットボールシューズは、ヒールの部分が8mm高くなっている程度の、かなりフラットなものでした。ランニングシューズは12〜15mmだったので、ランニング向けに十分にヒールを上げつつも、十分な安定感を提供できる低さも確保するために、ちょうど良い中間値を見つけようと思いました。」と現在はナイキのクリエイティブコンセプト担当副社長を務めるティンカー・ハットフィールドが、当時を回顧します。

ティンカー・ハットフィールドによるナイキ エア トレーナー 1のアウトソールのスケッチ

「クロロフィル」の愛称で呼ばれる白、グリーン、ブラックの色の組み合わせもハットフィールドがジムを訪問して影響を受けました。

ナイキ エア トレーナー 1の広告

「ジムの機材は黒と白の色で、緑の文字が使われていました。トレーナー 1の色はこれらをもとにしたものです。」とハットフィールド。

1987年にナイキ エア トレーナー 1の発売によって、アスリートは1つのシューズで、試合も、ウエイトリフティングもランニングもこなせるようになり、クロストレーニングというシューズのカテゴリーも誕生しました。しかし、ナイキ エア トレーナー 1の成功は、シューズ発売前に起こった事件が、ジムで起こったどんなことよりも大きな原因となったのです。

「予定していなかったことを彼はやってしまった。」

1986年、ナイキ エア トレーナー 1発売の前年、婚約を発表したジョン・マッケンローがナイキに連絡をしてきたのです。子供の誕生によりテニスから離れていた彼は、復帰に向けて熱意を高めており、新しいスタイルのシューズを求めていました。幸運なことに、これまでとは違う機能性を発揮するものを求める彼に、ナイキが応える準備はできていました。

「ナイキからたくさんの試作品を送ってもらった時に、偶然私に送るつもりではなかった履き古されたモデルが混ざっていたのです。しかし、それが一番私にとってはすごく良いものだったのです。」とマッケンローは当時を語ります。

ハットフィールドが知らないうちに、ナイキ エア トレーナー 1の初期の試作品がマッケンローの手元に渡っていたのでした。試合の時にはそれを着用しないように、とナイキから言われたのにもかかわらず、従順とも言えない性格のマッケンローはその依頼を無視したのです。

「あの時は、『悪いけど、これで行くよ。この試合には、これでなきゃいけない。』と言うくらい、しっくりと感じたんだ。」とマッケンロー。

ナイキ エア トレーナー 1の試作品を着用するジョン・マッケンロー(1986)

結果、輝かしい優勝でマッケンローが復活したのです。それはシューズのおかげだったのでしょうか?

「彼があれを履くことを、私を含め誰も知らなかったので、あっけに取られる思いでした。」とハットフィールド。「履く予定ではなかったのに、履いてしまったのです。」

もちろん、トーナメント優勝に必要なスキルをシューズが提供したわけではありませんが、シューズの優れたサポートと安定性で、マッケンローは試合に集中することが出来たかもしれないと言えるでしょう。彼はこの試作品を履き続け、続く2つの大会でも優勝し、シューズを返すことを拒否するばかりか、大胆にも追加を依頼してきたのでした。ナイキもナイキらしく、それに応え、芝とクレーコートのそれぞれに合わせた2つのアウトソールの特別バージョンを準備しました。

「私が必要とした全てを持ち合わせたものでした。」とマッケンロー。「足首の捻挫を抱えていた私が必要としたサポート性があり、コートでのジャンプも可能にするシューズだったのです。幸運というか、幸せな偶然がもたらしてくれたものです。」

ナイキ エア トレーナー 1のテニスコートでのデビューは、ハットフィールドの不意を打つようなものでしたが、その結果に彼は驚くことはありませんでした。

「驚きましたが、大丈夫だという確信はありました。」とハットフィールド。

大胆な選手によってナイキ エア トレーナー 1はテニス界に足跡を残し、後に続くテニスシューズに道を開いたのです。この時、ナイキはテニスシューズに機会を見出し、以来振り返ることはありませんでした。

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