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2016年7月25日

300万人に1人の逸材 ギャビー・ダグラス

アメリカでは毎年300万人以上のレオタードを着た6~17歳の少女達が体操のクラスに参加しています。彼女達はチョークを手につけ、手にマメができようとも、表彰台の頂上に立つ事、そして、自分の顔がシリアルのパッケージに載ることを夢見ています。YouTubeに、スパンコールの衣装を身にまとった小柄な体操選手の動画がたくさんあります。そのことが、いかに多くの少女達がその夢を目指しているかを物語っています。

そんな夢を追いかけていた少女達の80%は、18歳になる頃に、このスポーツを辞めてしまいます。ギャビー・ダグラスは、その年齢に達した時、誰もが望む金メダルを既に獲得し、それに見合う様々なオファーや契約を受けて、再びマットに復帰する準備をしています。彼女は、大人としての自由を満喫する代わりに、今一度、午前7時半に起き、おばあさんが準備してくれる朝食を食べる生活をしています。午前8時の練習開始に間に合うようにジムに到着すると、平均台、ゆか、跳馬、段違い平行棒と、一連の種目の練習を始める前にストレッチします。その後は、コンディショニングを行い、昼食を取って休憩。さらに、年下のチームメート達が宿題をしている時間も休憩時間に充てています。午後2時にはマットに戻り、帰宅する前までに平均台と段違い平行棒、または平均台とゆかの2種目を集中して練習します。彼女はこのルーティン、「毎週6時間の練習日を3日間、4時間の練習日を3日間、休養日1日」をこの2年間繰り返ししてきました。

ダグラスは、2002年のバージニアビーチで初めてその名前を残しました。「私は、体操を6歳位の時に始めました。初めてのクラスに行って、とにかくジムが大好きになりました。」と彼女は話します。その3年前から、家の周りを側転で周る事ができるようになっていたダグラスを見て、姉が母親のナタリー・ホーキンズにジムに入れるように薦めたのでした。

正式なトレーニングを始めてから2年後、州立選手権でレベル4の個人総合優勝を達成しました。その後も、持って生まれた才能と競争心に駆り立てられ、好成績を収め続けましたが、同時に自己不信にも陥っていました。彼女の母親は話します、「ギャビーは大会に優勝はするのですが、自分の能力に自信を持っていませんでした。私は彼女が素晴らしい選手であることと、自分の力を信じれば表彰台の1番上に登れることを言い 聞かせました!」
好成績と不安感の葛藤は、2008年北京大会の観戦時に頂点に達しました。家族会議を行うと、ダグラスはテレビで繰り広げられているような演技を実行する能力は自分にないと否定しましたが、テレビで観たコーチに教えてもらえたら、同じレベルで戦えるかもしれないと認めるところまで議論が進みました。

失敗を恐れる心を持つことを娘に禁じたホーキンズは、上記のコーチに連絡を取りました。その後間もなくギャビーは、アイオワ州ウェストデモインのホストファミリーの家に住みながら、そのコーチのもとトレーニングを受ける事になりました。絵に描いた夢に一歩近づきましたが、その反面、彼女にとって家族と離れることの方がより辛く感じました。ホームシックでもう諦めようという気持ちにさえなりました。しかし、ダグラスは、母の「人生は楽ではない。戦い続け、諦めてはいけない」という言葉を思い出しました。彼女の母親も「夢を叶えるためには真剣に頑張らなくてはいけない」と娘にアドバイスしたことを覚えています。

その頑張りの結果、ダグラスは2012年の全国予選で首位となり、代表チーム選出を確実なものとしました。また、ずっと自分の能力に対する不安と戦ってきたダグラスにとって、その勝利は転機となりました。「2012年に自分を信じ始めるようになりました」と彼女は話します。

ホーキンズもこれに同意します。「彼女は2012年3月にナンバー1になれるかもしれないとようやく信じるようになりました。その自信がロンドンでは彼女を支えていました。ロンドンで彼女の虎のような鋭い眼差しを見た時、私たちは、その調子よ!と思いました。」

ロンドンでは、“Fierce Five”とニックネームのつけられたアメリカ代表チームの一員として、ダグラスは団体と個人総合で金メダルを受賞し、アフリカ系アメリカ人としては初の個人総合優勝者となりました。

ホーキンズは思い返します。「彼女の名前がスコアボードに表示され、個人総合で金を獲得したのを見た時に最初に思ったのは、良かった、あれだけ頑張った甲斐があった、ということでした。私たちは精神的にも金銭的にもすべてを犠牲にしました。その時はそれがあまりに辛いものだったので、意味のあることだとは思えませんでした。辛くて厳しく、残酷な時間を強いられたけれども、それだけの価値が充分にありました。」

ダグラスと家族にとって、メダルは然るべくして勝ち取った報酬でした。しかし、若き体操選手がメディアで大々的に取り上げられことで、誰もが知る有名人になるとは想像すらしていませんでした。ダグラスは当時の心境を明かして話します。「こんなに大騒ぎになるとは思いもよりませんでした。ロンドンに行って競技を行い、後は家に帰って家族と夕食を食べようとくらいにしか思っていませんでした。」

著名人とのパーティーへの参加や数多くのテレビ出演を重ねた後、彼女に関する本を2冊出版する契約を締結。さらに、彼女の人生を詳細に伝える長編映画が制作されたり、またインスタグラムだけで100万人以上のフォロワーを集めるようになりました。その間に、シリアルの箱や多くの雑誌の表紙を飾るようになりました。そして9ヶ月後、当時17歳だったダグラスは思いがけない真実に気づきました。彼女の体操人生はまだ終わっていない、と。

彼女の母親は率直に言います。「彼女のハードワークと犠牲の結果生まれた素晴らしい機会をすべてこなしながら、エリート体操選手として常時練習する事は大変なことですが、彼女は心を決める必要がありました。」
その気づきがあってすぐ、ダグラスは体操への復帰を発表しました。その発表には、批判的な見方をする者もいれば、代表チームの平均年齢が従来16歳のスポーツを再開するには、ダグラスは年を取りすぎているのではないか?と疑問視する者もいました。本気で復帰を考えているのか、それとも自分を宣伝するための策略なのか。また、ちょっとした論争にも発展しました。なぜ彼女はコーチを変えカリフォルニアに引っ越したのに、また中西部に戻って、新しいジムに行き始めて、さらにコーチをまた変えたのか?

きれいに編集された、選手としてのダグラスのウェブサイトには、彼女のこれまでの道のりのハイライトをまとめた多数の動画が掲載されてます。そこでは、彼女は自分の決定や復帰に向けての強い意志を語っています。とは言え、この2年間、ダグラスはジムにその意識を集中してきました。

既に最高の栄誉を獲得し、勝敗がわずか数センチのずれ、棒から1回滑り落ちるかどうか、あるいはジャンプの角度で決まるスポーツでは、新記録を達成することは、基本を忠実に守り、上記のトレーニングメニューを実行することで過去の自分に打ち勝つことを意味します。厳しいメニューをこなしてきた結果、スレンダーな体型を維持したまま彼女の体は新しい筋肉で覆われ、宙返りもより簡単に行え、体操全般を、軽やかに力を抜いて行えるようになったと言います。同様に、彼女の精神面も成長しました。技術を素早く身につけるという才能に見合った、難易度と得点の高い新しい技術を身につけるに連れて、自己不信は意欲を掻き立てる焦燥感へと形を変えていきました。

「精神的にかなり強くなりました」、ダグラスは説明します。「先走ってしまうこともあって、そんな時はコーチ達に『心配するな、辛抱強く待て』と言われます。冷静さを保てるようにならなくてはいけないです。」

2015年3月、復帰発表後初の大会で4位になり、その後2015年世界体操競技選手権では個人総合で銀メダルを獲得しました。その成績は彼女を疑っていた人達を黙らせるのに充分だったかもしれませんが、彼女自身の基準を満たすには至りませんでした。「私は完璧主義なのです」、ダグラスは話します。「少しでも何かうまくいかないと、とても取り乱してしまい、心を少し閉ざし、修正されても聞こえなくなることがあります。感情面をもう少し鍛えなさいとコーチ達には言われると思います。」

その課題に取り組む方法の1つとして、聖書の言葉について瞑想をしています。「ジムでとても助けられています。それに、体操はメンタルがすべてなので、心を落ち着けるのにも役立っています。モチベーションも出てくるし、情熱とエネルギーを失わないでいられるのです。」

2016年3月、ダグラスの肉体・精神面での準備が功を奏し、主要な国際大会で個人総合金メダルを獲得しました。モナリザのよう笑顔で一礼する様子からは、彼女の特徴である謙虚さと新たな成熟ぶりがうかがえました。「自らをより厳しく律し、尊敬の念を持ち、そしてより効率的に動けるようになりました」、彼女は話します。彼女のトレーニング方法は多様性を増したかもしれませんが、目標はただ1つ、金メダルをもう1度獲得することです。

2016年の代表チームに選ばれただけでも、ダグラスは1980年以来個人総合優勝者としてオリンピックに2度目の出場をする選手となり、アメリカ人個人総合金メダリスト4人のうち2度出場する初の選手となります。しかし、彼女にはただ出場する以上の大きな目標があります。1968年以来女子選手としては初の個人総合連続優勝を、それもアメリカ人体操選手としては史上初の達成を目指しています。また、2015年世界体操競技選手権ですべてのライバル達を蹴散らした現在の女子アメリカ合衆国代表チームも、一切弱点なしと言われており、団体でも連続優勝の可能性があります。

結果がどうなろうと、この大会は間違いなく金メダルを目指している新世代の若い選手達にインスピレーションを与えることになるでしょう。そのような少女達一人一人にダグラスからはシンプルなアドバイスがあります。「一所懸命練習するよう言います!途中で少し大変になる時もあるかもしれないけど、後悔しないよう常に力を出して戦い続けて。後から思い返して、もう少しやれば良かったと言わなくていいよう、全力を尽くした。100%の力を出した。さあ、次を目指そうと言えるように。」

ギャビー・ダグラスのトレーニングはNIKE.COM/NTC、アスリートたちのこれまでの道のりや、アスリートのストーリーはNIKE.COM/ATHLETESをご覧ください。

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