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2015年4月27日

ナイキは40年以上ずっと女性にフォーカスし続けています

ナイキは、”JUST DO IT.”の精神で、女性が活動的になって新しい目標に挑んだり、ゴールを目指すことを、
40年以上にわたり応援し続け、これからも女性のチャレンジをサポートしていきます。

“JUST DO IT.”は、1988年、ナイキの広告コピーとして誕生し、このシンプルなたった3つの単語とともに、ナイキはこれまでスポーツの世界に様々な革新を起こしてきました。言い訳をする前に、とにかくやってみることの大切さや、夢を追いかけることのすばらしさなど、この言葉は多くの人たちにとって特別な意味を持つようになり、世界中のアスリートたちを勇気付けてきました。スポーツは人々に、より充実した生活をもたらし、感動をよび、勇気をあたえています。3月3日に期間限定でオープンしたNIKE WOMEN’S STUDIOなどは特に、女性にフォーカスした取り組みも多数行っております。

今回新たに紹介されたJUST DO IT.キャンペーンのムービー「ココロの声」では、ハーフマラソンにチャレンジする女性、ウエイトトレーニングにチャレンジする女性、ヨガの難しいポーズにチャレンジする一般女性たちが感じている大変さや、誰もが感じたことのあるようなココロの葛藤をリアルに描いています。
「ココロの声で、カラダを止めるな。できるジブンになるために。」というメッセージのもと、理想の自分になるためにスポーツにチャレンジする女性が共感できる一般女性の「ココロ」の声が表現されています。彼女たちに共通しているのは、新たな目標に向かって、より良い自分になるために、挑戦していることです。ナイキは、草創期の1970年代から2015年の現在まで、ずっと変わらずに挑戦する女性たちを応援し、またこれからも応援し続けていきます。

JUST DO IT.キャンペーンムービー「ココロの声」はこちらからご覧になれます。

ナイキが1970年代から女性を応援し続けてきた歴史をご紹介します。

ナイキウィメン:草創期(1970年代)

アメリカ国会は1972年、高校と大学でのスポーツに置ける男女平等を確立させる画期的な法律である、男女教育機会均等法案(“タイトルナイン”)を可決しました。それから1週間も経たない頃、オレゴン州ユージーンでアメリカ国内オリンピック陸上予選が始まりました。そこではオレゴン大を卒業したランナー達がTシャツを作り、チェックマークのようにも見える一風変わったブランドのシューズを無料で配っていました。彼らの小さな会社の名前はブルーリボンスポーツ。シューズはギリシャ神話の勝利の女神(Nike:ニケ)にちなんでナイキと名付けられていました。

のちに、ナイキはランナーズワールド誌の裏表紙に、女性を起用した一連の広告を掲載し、1978年、女性へ注力することの一環としてナイキウィメンが立ち上がり、女性専用にデザインされた製品ラインの一つ、レディワッフルトレーナーの広告を打ち出しました。

1979年、女性ランナーのグループが長距離競技への参加を求める組織「インターナショナル・ランナーズ・コミッティー(IRC)」を結成しました。ナイキはIRCの積極的なパートナーとして、女性ランナー達が新しいレベルにおいても挑戦し続けられるように資金や露出の機会を提供しました。

ジョン・ベノイト・サミュエルソンと長距離を目指す(1980年代)

1980年代初頭までは、オリンピックで女性が走ることを許された最長距離は1500mでした。これは女性が身体的に長距離を走ることができないと長い間、信じられていたせいでした。

1981年、国際オリンピック委員会は1984年大会に女子3000mとマラソンを実施することを決定しました。これは新しい種目を追加するときには決定後、4年間の猶予期間を置くという条項を無視するものでした。ナイキはこれを祝福する2本の広告を打ち出しました。一つは、“The Olympics Will Never Be the Same.”(オリンピックは永遠に変わる)というものです。もう一つはワシントン州オリンピアで行われた女子オリンピックマラソン予選大会プログラムの裏表紙に掲載されたもので、端的に、かつ感情を込めた“Finally!”(ついに!)という言葉が記されたものでした。

1984年、ロサンゼルス五輪で行われた最初の女子マラソンでジョン・ベノイト・サミュエルソンが歴史的な優勝を果たすと同時にランニング熱が高まりを見せ、ナイキはその優勝を祝福する雑誌広告を行いました。

ナイキ エアロビクス(1980年代後半~1990年代初頭)

1980年代後半、多くの女性がスポーツを身近な存在として捉え、フィットネスを生活の一部に取り入れるようになりました。ナイキは様々な女性向けフットウェアやアパレルを展開し、一般の女性アスリートに語りかけるようになりました。

1990年には「リスト」シリーズと呼ぶ広告キャンペーンを発表しました。これは現代の女性にのしかかる大きなプレッシャーの数々を列記し、伝えたものです。

1991年には“You Were Born a Daughter,”(娘として生まれたあなた)という一文から始まり、女性の成長や発達について述べた8ページに及ぶ雑誌の差し込み広告を展開しました。

シェリル・スウープスと女性スポーツヒロインの台頭(1990年中盤)

大学スポーツとオリンピックチャンピオンとなったシェリル・スウープスは、ヒューストンコメッツを初のWNBA優勝に導くと共に12年のキャリアの中で3度のMVPに輝くなど、女子プロバスケットボールに伝説を残しました。

1995年10月、スウープスはナイキの歴史の中で男女通算二人目の選手として、その名前がシューズに用いられました。これによって、シェリルは最初に名前が商品名となったマイケル・ジョーダンと同列に並ぶ存在となりました。

If You Let Me Play 1995

1995年秋、ナイキは“If You Let Me Play.”(私をスポーツに参加させてくれたら)と題した30秒のテレビスポットを発表しました。これは、スポーツが女性の人生に良い影響を与えることを強調し、女性アスリートに新しいアプローチで刺激を与えるものでした。このキャンペーンはUSA Todayの読者が選ぶ1995年の最高の広告の一つに選ばれました。

20年経った今でも、“If You Let Me Play”の文化的意味合いは色あせることなく、女性向けスポーツメディアを振りかえる中でもっとも引用される資料の一つにあげられます。

アメリカ女子代表チーム(1999)

女性のスポーツイベントでは最大となる9万の観客がスタンドで声援を送る中、アメリカ代表サッカーチームは中国を相手に劇的なPK戦を制してワールドカップの優勝杯と世界中からの注目を手に入れました。ナイキは彼女たちの道のりの一歩一歩を祝福しつつ、この機を生かして次の世代の若い女性アスリート達も励ましました。

ナイキの“Girl In America”(アメリカの少女)のスポットでミア・ハムは、「アメリカに生まれた女の子がいる。その子にお人形を与える人もいる。その子にボールを与える人もいる。そしてその子にチャンスを与える人もいる。」と述べています。

21世紀における主張と偏見の打破(2000年代)

ナイキは強さのある女性をロールモデルにした“My Body Parts”(私の体のパーツ)と名付けた雑誌広告を発表しました。これは女性アスリートのヒップや太ももの大きさや強さを自信と共に表現したものです。

2004年、アテネ五輪の頃、ナイキは400mスプリンターのアナ・ゲバラを起用した広告、“Mi heroe es una chava,”(私のヒーローは女の子)を発表しました。ゲバラは2003年にメキシコ女性陸上トラック選手として初めて大きな国際大会で金メダルを獲得し、アテネでも銀メダルをとりました。

2006年、ナイキはマリア・シャラポワの初のキャンペーン“I Feel Pretty”(私はかわいい)を打ち出しました。これは、マリアの美しく女性らしい外見の中に、世界屈指のアスリートとしての激しい勝ちへの意欲が隠れていることを、遊び心を交えながら伝えたものです。

2007年4月4日ウィメンズ・マーチ・マッドネス(全米大学バスケットボールトーナメント)期間中、ラトガース大女子バスケットチームについてのラジオのコメントが大きな話題となり、アスリートキャンペーンへとつながりました。キャンペーンのビデオではミア・ハム、ピカボ・ストリート、セリーナ・ウィリアムズ、ガブリエル・リースを含むアスリートやコーチも登場し、性別に関する偏見について意見や疑問を投げかけました。また、ナイキはニューヨークタイムズ誌に“Thank You Ignorance. Thank you for starting the conversation. Thank you for unintentionally moving women’s sport forward”(無知なあなたに感謝します。この対話を始めてくれてありがとうございます。意図していないのに女性のスポーツを前進させてくれたことに感謝します。)と記した一面広告を掲載しました。

2008年にナイキは女性との対話を促す“Here I Am”(ほら、このとおり)というキャンペーンを始めています。このマルチメディアを活用したキャンペーンでは、ソフィア・ブテラやマリア・シャラポワなどの若くして世界で活躍するアスリートの心の強さにハイライトを当てながら、スポーツをすることによって女の子の心と体が強くなることを表現しています。

セリーナ・ウィリアムズのテニス・ダイナスティ(2004年~)

セリーナ・ウィリアムズを起用した2007年のキャンペーン

キャリアの終わりとなりかねない怪我や挫折を何度も経験しながら、ウィリアムズは現役プレイヤー最多の34のグランド・スラムの優勝を重ね、その記録をまだ更新中です。コートでの独特のスタイルや自己表現と、真剣にトレーニングに打ち込む姿勢で知られるウィリアムズは、2007 年のナイキのATHLETEキャンペーンと2011年のDelicious Training(美味しいトレーニング)の主役になっています。また、セリーナは2013年にリロンチしたナイキ+ トレーニング クラブ アプリに初めて登場したアスリートの一人になっています。

ナイキ ウィメンの今(2010年代)

2010年12月、ナイキは女性向けのキャンペーンコピー、"Make Yourself"(私を作るために必要なこと)を発表しました。このキャンペーンは、女性に自分がなりたい姿を思い描くことや、最高の自分になるために必要な自信を、スポーツを通じて得ることを促しています。

2012年6月23日、ナイキは男女教育機会均等法の40周年を記念して、スポーツで活躍する女性を祝福するフィルム”Voices”(声)を発表しました。このフィルムにはジョン・ベノイト・サミュエルソン、リサ・レスリー、マーレン・エスパルザ、ダイアナ・トーラジらが登場しています。

李娜がアジア人女性として初めてテニスのグランド・スラムで優勝し、中国人女性プレイヤーとしてもっとも高いランキングにつきました。ナイキはこの成功を祝い、新しい世代の中国人アスリートを励ますため、"Dare to aim higher than the sky"(空よりももっと高いところを目指せ)のキャンペーンを打ち出しました。彼女が引退を発表した時には、翼を広げた不死鳥をアイコンに、"Be the Bird that Sticks Out"(突き抜けた存在の鳥になれ)と題したキャンペーンでその功績を称えました。現在でも、ナイキは女性アスリートと共に限界をうち破り、成長を続けています。

JUST DO IT.は、グランド・スラム優勝者や世界チャンピンから、自己記録を目指したり、もう少し頑張るためのモチベーションを探している人まで、あらゆるレベルの女性アスリートの声となり、彼女たちを支え続けてきたナイキの歴史を受け継ぐものです。ナイキの名前も女性に由来することが何よりの証拠かもしれません。