2016年4月15日
2000年初頭、この画期的なランニングシューズに与えられた愛称、”Shady Milkman”(怪しい牛乳配達)や”Rogue Kielbasa”(凶暴なキルバーサソーセージ)は、どちらかというと奇妙なレストランのメニューの名前かと思われるものでした。その後展開された意表をつく広告キャンペーンでは、新製品のナイキ エア プレストがこれまでのシューズとは一線を画すものであることが強調され、パフォーマンスシューズの概念が覆されました。
このように、オリジナルのプレストの登場には奇をてらったところもありましたが、その4年前に韓国で始まったイノベーション開発は真剣そのものでした。
ナイキ エア プレスト最初期のプロトタイプ(1996)
「私は製品担当として韓国に駐在していました。」と、当時のフットウェアの開発担当で、現在はアスリートイノベーションのシニアディレクターを務めるトビー・ハットフィールドは当時を思い返します。「みんなが当時新しく発売されたシューズを試したのですが、私がそれを履いて立ち上がると、足首の周りの形が崩れて広がってしまったのです。」
完璧とは言えないフィットを実感した時に、ハットフィールドは、一般ランナーたちとの話し合いで聞いた意見を思い出しました。その会に参加していたランナーには2つの大きな要望がありました。1つ目は、足とシューズが喧嘩するようではいけない、つまりフィットがとても大事であること。もう1つはスリッパのように快適なシューズが欲しいと言うことでした。
そこでハットフィールドはこれまでになく優れたフィットと快適さを提供するシューズのデザインに取り組みました。ペンと紙を使いスケッチを描き始めた彼の手元から間もなく生まれてきたのは、「Vノッチ」と呼ぶ、足首の後ろの部分にV字の切れ目を入れてフィットを高めるというアイディアでした。
「自分で試走する だけでは良くないと思いました。偏見のない意見を聞くことが大事だと思ったからです。」とハットフィールド。「そこで同僚にも試して欲しいと頼んだのですが、1つ大きな心配がありました。それはプロトタイプのサイズが9インチなのに、彼のサイズは11インチだったことです。」
しかしハットフィールドの心配は杞憂に終わりました。試し履きをしたランナーからフィットに関する不満の声は聞かれなかったばかりか、2サイズ小さ かったということを聞いて彼は驚いたのでした。「Vノッチによってかかとのフィットが改善されたことに加えて、
履き口部分にかかるテンションが抑えられつつ、ちょうつがい(ヒンジ)のように広がるためにシューズの長さを伸ばすことにもなったのです。」とハットフィールドが説明します。
この試作品の機能には目を見張るものがありました。サイズが11インチのランナーがサイズ9インチを履くことができるのであれば、フットウェアのサイズ展開を変えることができるのではないかとも思われました。「Tシャツはハーフサイズでの展開はしておらず、S、M、Lしかありません。」とハットフィールド。「フットウェアでも同じようにやってみたらどうだろう?ゆとりのあるサイズ展開をしたらどうなるだろう、と考えました。」
ナイキ エア ガントレット(1998)
1997年にオレゴンのナイキ本社に戻った後も、ハットフィールドとデザイナーのチームは作業を続けました。その成果が初めて市場に現れたのは1998年、ナイキ エア ガントレットでした。
このランニングシューズの大きな特徴は、Vノッチと前足部に使った伸縮性のあるメッシュと、履く人がフィットを自由に調整できるようにバネ鋼を使ったヒールクリップでした。シューズ内部の素材の継ぎ目をほとんど取り除き、快適さも高めました。「このシューズで目指したことは、素材の継ぎ目をなくすこと(シームレス)と、フィットを調整できるようにすることでした。」とハットフィールド。「ヒールクリップとVノッチの組み合わせで、より自然に足を動かせるようになりました。」
ナイキ エア ズーム ドライブ(1999)
このコンセプトをエリートランナー向けに提供するため、ハットフィールドとチームが開発したのは、1999年に発売されたナイキ エア ズーム ドライブでした。履き口部分は従来のシューズの形に近いものでしたが、内側の構造をシームレスに近付け、アッパーには伸縮性のあるメッシュを使用しました。ヒールクリップを今回は内側に組み込み、当時はまだ比較的新しかったビジブル ズーム エアがランナーに反発性のあるクッションを提供しました。
「エア ズーム ドライブは速いランナーのためのハイテクシューズでした。」とハットフィールド。「ただし、元々のプロジェクトの根幹であった快適さとフィットという基本からは離れていません。」
エア プレストのコンセプトは、1996年のあの日に韓国で生まれたものでした。しかしそれが現実の形になったのは2000年のことでした。最後の難関はアッパー用の理想的な素材を見つけることでした。
ナイキ エア プレスト初期のスケッチ
「エア ハラチのアッパーには、伸縮性とクッション性のあるネオプレーン素材を使っていました。しかしネオプレーンは熱を閉じ込める設計で、つまり通気性があるわけではありません。そこで素材チームに、ネオプレーンに代わる通気性のある素材がないかと尋ねました。」とハットフィールドは説明します。
その答えが主に医療用に使われていたスペーサーメッシュというものでした。通気性が大変優れているばかりか、あらゆる方向に伸縮し、ハットフィールドのVノッチをつけた試作品が産み出した屈曲・柔軟性を実現するためのシューズには理想的な素材でした。「スペーサーメッシュを使えば、伸縮性を損ねることなく、同時にVノッチの切り込みをそれほど極端にせずにすむのです。」とハットフィールド。
ハットフィールドが当初思い描いた通り、シューズはXSからXLの「足のためのTシャツ」のコピーにふさわしいサイズ展開で販売されました。中足部のケージと、外付のヒールカウンターが必要なサポートを提供し、つま先のバンパーが前足の内部にスペースを作り快適さを高めます。しかしまだ名前が決まっていませんでした。
「デザインや開発に関わる仲間たちから名前を募集することにしました。おそらく300以上の応募があったと思いますが、その1つがプレストマジックというものでした。シューズを履くと、マジシャンが「プレスト」(さあ!)という掛け声とともにマジックを見せたかのように完璧なフィットを感じられる、ということに由来します。」
そこから、ナイキはそれぞれのシューズのカラーにこれまでとは異なる名前をつける作業に取り組みました。「キャットファイト・シャイナー」(喧嘩の黒あざ)「トラブル・アット・ホーム」(家庭内騒動)「アブドミナル・スノーマン」(腹筋の割れた雪だるま)、「レイビッド・パンダ」(過激なパンダ)などの名前が遊び心にあふれたイラストとともに紹介され、シューズを一層面白い存在にしました。
ナイキ エア ズーム プレスト「レイビッド・パンダ」の広告(2000)
エア プレストの広告も雑誌やテレビで展開され、中でもテレビ広告はアバンギャルドな存在感を高めていきました。
発売から16年を経て、ナイキ エア プレストはエリートランナーに愛用され、アートギャラリーで紹介され、そしてスポーツスタイルの定番にまでなりました。一方、このシューズのナイキ社内に及ぼした影響も同様に大きなもので、軽く、足の形にフィットするミニマリストな形状は、デザインチームが足の自然な動き(ナチュラルモーション)というコンセプトを考える動きを加速させていきました。「『どうしてプレスト2を展開しなかったのですか?』といつも聞かれますが、実は、やりました。それがナイキ フリーなのです。」とハットフィールドは述べます。
実に今、オリジナルプレストの愛用者たちには、ナイキ フリーや、ナイキ エア プレスト ウルトラ フライニットなど、たくさんの選択肢があります。これらはプレストを再発見させるような実感を与えると同時に、オリジナルプレストと同じ、履いた瞬間の幸福感を提供するものです。
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